ページトップへ

社長ものがたり | 注文住宅 東京調布・世田谷・狛江市 東建ハウジング

社長ものがたり


 東建ハウジング社長・久慈正巳
アイデアマン、人情家、理想主義者、シビアな経営者・・。
様々な側面をもつ東建ハウジング社長・久慈正巳。
でも、一貫して追い求めてきたものは、 人と人とが心でつながる地域社会。

 

 

ふるさとは炭鉱の町。本当の信頼とは何かを教えてくれた場所

ふるさとは炭鉱の町

 連なる山々の裾野に広大な石狩平野が広がり、ゆったりと石狩川が流れる。私が生まれ育ったのはそんな大自然の中にある炭鉱町です。炭住と呼ばれる棟割所帯。そこに住む人たちは、男も女もじつによく働きました。そして何かにつけ助け合ったものです。

 私はこの炭鉱で働く両親のもと、父親が40歳の時、四男坊として生まれました。貧乏でしたがみんな働き者の家族でした。小学校の時には畑で野菜を作ったり、炭焼きの手伝いをしたり、中学の3年間は新聞配達を続け、そのお金で修学旅行に行ったのだから、よく働き、家計を助けたと思います。

 いまでも私は、私という人間をつくってくれた第一のものは、このふるさとだとつくづく思います。炭鉱の仕事は、生死を共にするもの。一蓮托生の世界です。だからみんな本気で力を合わせて生きていた。その結束の固さは、人間のもつ素晴らしい一面として、少年だった私の心に深く刻み込まれました。あてにし、 あてにされる本当の信頼関係を、私はここで学んだのです。

 

 

新しい時代を感じる東京へ。真剣に学んだ青春

新しい時代を感じる東京へ

 19歳になった私は、先に上京していた兄を頼って東京に出ました。私には早熟な一面があり、当時、世界的動向としてエネルギーの“大変革期”が迫ってきた背景を、本能的に感じとっていました。地元にいて通信教育を受けているだけでは満足できない。ダイナミックに動いていく社会の真っ只中で勉強がしたい。そんな私の心の叫びを感じとったのでしょうか、自身も新聞配達をしながら苦学していた兄が、「本当に勉強し たいなら東京へ来い」と声をかけてくれたのです。勇躍、上京した私が、まずはアルバイトでもいいからと飛び込んだのが建築関連会社でした。

 昼間働いて夜間、学校に通いました。いろいろな社会的運動にも参加しました。そこでは基礎づくりを真剣に学び、そのことは後年、様々な経験を積んだことともあいまって、いろいろな工法等への挑戦の基になっています。

 ただ苦労したのは学費の捻出です。学費が払えなくて、それでも勉強したくてたまらず、こそっと教室に潜り込む快感?も味わいました。闘って学び、学んで闘うこと。自らを鍛え高めること。寝る間を惜しんで という言葉どおり、本当に寝る時間が平均4~ 5 時間という毎日が続きました。今の若い人から見ると、そこまで勉強がしたかったの?と思われるかもしれませんが、その通り。本当に自分を高めたかった。私の青春は、それほどに純粋で、ひたむきなものでした。

 

 

お客様と喜びを分かち合うために。本物の家づくりへの挑戦

お客様と喜びを分かち合うために

 理想を抱いて飛び込んだ住宅建築の世界でしたが、時代は高度成長期に突入していました。大量生産、大量消費の時代。建てても建てても振り返る間もありません。建築ラッシュ。好き勝手な土地開発と住宅が、 地域にどんどん増えていきます。

 「本当にこれでいいのか」胸に葛藤を抱えながらも、まるで暴走車のように驀進する流れは容易にとどめる ことはできません。その中で若い私はエネルギッシュに動き、地域でのいろいろな団体や個人との付き合い、 人間関係も広がってきました。

 1975年、ついに理想に向けて立ち上がる時が来ました。お客様の願いを本当にかなえるための会社の設立。 私はすでに工務店を経営していましたが、同じ考えをもつ他の2社と協力し会社を立ち上げたのです。このおかしな状況を切り開くには、個人の力だけでなく、志を同じくする者同士力を合わせなくては、と考えた上での決断でした。

 当時、私たちの取り組みは、周囲から相当異端視されました。たとえばバリアフリー。いまでこそ馴染みのある言葉となった住まいのバリアフリーですが、私たちが取り組んだ27 年前には「何をおかしなことを言っているんだ」と言われました。

 車椅子が通れる1mの廊下、床はフラットにする、手摺を取り付けられるように階段も1m。敷居を作るのが当り前と思っている大工は面くらい、社内でもケンケンガクガクの大激論。実施に2 年もかかりました。 でも当時のお客様には、いまでも大変喜ばれています。

 説得し、挑戦し、検証する。一つ一つの取り組みにエネルギーと時間を費やしながら、以後の私たちは「うしろを振り向き、恥ずかしくない人生、誇り高い仕事をしよう」をモットーに、「住む人と、建物と地域の健康」 に対して責任の持てる家づくりを目指して、チャレンジを続けていくことになったのです。

 

 

チャレンジのよろこびと人を信じる心
これさえあればなんとかなる

チャレンジと人を信じる心

 誰も取り組んでいないことに率先して取り組み、社員全員がそのことでよろこびを共有するために、私が大切にしたもの。それは社長である私が、自ら未知の世界に挑戦し、実践してみせる勇気でした。

 まず自分が変わらなければ、まわりは絶対に変わりません。そして最終的に人の心を動かすのはやはり心でしかない。決して経済ではないのだということも、私はこの挑戦からあらためて感じました。

 これから私は「大断面工法」「国産の木」にこだわった住宅づくりにチャレンジしていこうとしています。 そして同時に「若い人材の育成」に力を尽くすつもりです。次代を担う若い人たちに、信頼される仕事をすることの大切さとよろこびを知ってもらい、誇りをもって「人が健康に住まう家」をつくっていってほしい のです。

 チャレンジ精神と人を信じられるよろこび。いやもう人生のよろこびはそれに尽きますね。最近つくづくそう思います。これからもささやかながら、人と人とがつながりあえる街づくりに、力を注いでいきたいと 思います。少年の頃炭鉱で見た、人びとのまぶしい笑顔を胸に刻んで。